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シベリウス 交響曲第5番

CD

 ■ J・シベリウス作曲/交響曲第5番

 作曲者の生誕50周年の祝賀コンサートのために作曲され、シベリウスの7曲の交響曲の中では第2番に次いで演奏頻度が高い曲。

 初演後に大きく改訂されて、一般的に知られているのがその「改訂版」。

 「原典版」の方はヴァンスカによる録音があります。

 

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 ▲ サラステ指揮/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

 2008年のライブ録音。

 第1楽章は内気で内向的。「もっとスケールの大きい、開放的な音楽を...」と最初は感じるけれども、第2楽章で「いや、これでいいのだ」と思い、曲が終わったときには、大きな満足感が残る。

 第3楽章の最後、ホルンによって現れたコラール風のモチーフが遠くから聞える中で、弦楽器が名残惜しそうにメロディを歌い、エンディングへと向かう。

 ドラマチックに派手に盛り上げる演奏ならカラヤンでも聴いていればいい。でも、私はこちらの方が好きだ。


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 ▲ L・マゼール指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 1966年録音。

 第1楽章はスケール感のある、堂々と力強い演奏。そして、エンディングへ向けてどんどん加速していく。

 第2楽章はベルグルンドなどに聴かれる繊細さ、内気さは皆無。この楽章も、途中でテンポ・アップ。

 密度の濃いサウンドはオケによるのか。ホルンが◎。

 あくまでも我が道を行く快演。


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 ▲ P・ベルグルンド指揮/ヨーロッパ室内管弦楽団

 1996年録音。

 私の所有しているスコア(Wilhelm Hansen Edition)には、ベルグルンドによる序文(preface)が書かれていて、そのスペシャリストとしての解釈の完成版のような演奏。

 明るく、スッキリとした透明感のあるサウンド。パワーで押す演奏とは一線を画する。

 音楽は「この曲斯くあるべし」といった確信を感じさせ、ヘルシンキ・フィル盤よりも完成度が高い。

 それは、単に『譜面に忠実に』ということではなく、その中に独特の表情を見せる。

 そして、第3楽章のコーダ(2分の3拍子になってから)。遠くに聞こえるコラールの主題をバックに弦が歌い、最後(Largamente assai.)は消え入るように遠ざかって行く。

 この部分の表情は絶品で、ここがある限り、私にとってこの録音の価値は無くならない。

 ヘルシンキ・フィル盤はどこか中途半端な印象があって、私はこちらの新録音を取ります。


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 ▲ G・ロジェストヴェンスキー指揮/モスクワ放送交響楽団

 1973年録音。

 第1楽章冒頭のホルンの音からして『ロシア』以外の何物でもない。

 4分の3拍子(後半部)に入る前のトランペットは高らかに、凱旋のファンファーレの様でもあり、しかもビブラートの『泣き』が入る。

 金管、ティンパニが鳴らすたびに音はビリビリと歪み、終結部でのティンパニの強打には思わずのけぞってしまう。

 第3楽章、ホルンのコラールは一音一音にアクセントがつけられ、鐘の音のように響く。1,2番と3,4番のバランスが悪いけれども、そんなのは気にしない。

 そしてコーダ。ベルグルンド盤のような、涙が出てくるような儚さ、情感は一切無い。

 弦楽器を押しのけて、「オレが主役!」とばかりに無遠慮に吹き鳴らすトランペット。

 その無法状態のまま終結部へなだれ込み、最後の連続する和音も妙に短く余韻も何もない。

 いやはや何とも...でも堪りません。

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