ラフマニノフ 交響的舞曲
CD
■ S・ラフマニノフ作曲/交響的舞曲
▲ K・コンドラシン指揮/モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
1963年録音。まずはこれ。
導入の後のトゥッティから切れ味鋭く、怒涛のティンパニとバス・ドラム。
テンションの高さと、緊迫感は半端ではない。これを聴いてしまうと、一般的な欧米系の演奏が何とものんびりと平和に聞こえる。
第2楽章の後半のテンポ・アップは何者かに追い立てられるような切迫感がある。
最後の銅鑼はやや長めに余韻を残しています。
カップリングは「鐘」。
▲ E・オーマンディ指揮/フィラデルフィア管弦楽団
1960年録音。この作品を献呈され、また初演者したコンビによる録音。
第1楽章中間部のアルト・サキソフォンは細かいビブラートが付けられ、その後の弦楽器はストレートに思いをぶつけるようだ。単に表現力を誇示するようなラトル&BPOとは違う。
第1楽章の途中にスコアに無いピアノが加えられていて、指揮者が自身の判断で加えたのか、あるいは作曲者の指示によるのか。
最後の銅鑼は余韻を残さずに短く切っています。
カップリングは「パリの喜び」と、セル&クリーヴランド管による「売られた花嫁」からの3つの舞曲。
▲ S・ラトル指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
2012年録音。とにかく上手い。
第1楽章中間部や終結部での弦楽器の表現力。第2楽章の速い部分や第3楽章など、テクニカルな難所も見事に鮮やかに演奏し切っている。
ただ、「ここはこうして、次はこうして...」という『段取り』を強く感じられるところもあり、ふと気持ちが音楽から離れていくこともあるのだ。
最後の銅鑼は長めに余韻を残しています。
ケバケバしいサイケなデザイン。カップリングは「鐘」。
▲ M・ヤンソンス指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
2004年のライブ録音。
温かみのある巣晴らしいオーケストラのサウンド。逞しさよりも、繊細さを感じさせる演奏。第1楽章の中間部(ここは指揮者、オーケストラの腕の見せどころだと思う)もいい。
ヤンソンスがどのくらい伸ばしたかったかは分からないけれども、最後の銅鑼の余韻に被って拍手が起きてしまっているのは残念。ライブだと仕方ないか...。
カップリングは「ペトルーシュカ」(1945年版)。
【映像】
▲ S・ビシュコフ指揮/ケルン放送交響楽団
2007年録画。2枚組DVDから。
観客を入れないホール(スタジオ)での録画。
奏者の服装も普段着。指揮者だけでなく奏者がアップになる画面も多いけれど、コンサート本番では見せないであろう表情などが上手く捉えられていて、とても面白い。
ロシア的なパワー(爆発力)と情感のバランスが取れた見事な演奏だと思うし、この曲の映像ソフトとしても貴重。
第3楽章の後半、「怒りの日」のテーマがホルンで高らかに吹奏される部分などはゾクゾクする。
エンディングの銅鑼はスコア通りに微妙に音を残しているけれども、これはコンサートでは聴き取りにくいだろう。
カップリングは「鐘」と「交響曲第2番」。
ビシュコフ氏、風貌(ワイルド系/野獣系)のインパクトは大きいです。
ちなみに、奥様はピアノ・デュオ「ラベック姉妹」のマリエル・ラベック(@妹)だそうです。ちょっと意外...。
▲ Y・テミルカーノフ指揮/サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団
2013年、フランス、アヌシーでのライブ録画。
かつてのレニングラード・フィルとは全く別物のオーケストラ。ただ楽譜の上っ面を演奏しているだけのような演奏。
しかし、カップリングの「シェエラザード」は意外に良かったりするので厄介だ。
第3楽章のエンディングの銅鑼(ドラ)
第3楽章のエンディングの銅鑼(ドラ)の処理は指揮者によって異なる。
スコア(Kalms版)は下記の通り。赤枠が銅鑼パート。
他の楽器が8分音符で短く切っているのに対して、銅鑼だけが付点4分音符になっている(ただし、フェルマータの指定は無い)。
銅鑼という楽器の性質上、楽器を『鳴らして』音を短く切るということが困難なために、このような書き方をしているとも考えられ、素直にスコアを読めば、ここは若干の余韻を持って音を切るということになると思う。
しかし、音を止めることなく(フェルマータのように)大きく余韻を残す演奏もあり、これは3小節前に書かれている "Laisser vibrer" をどのように受け取るかによるだろうけれども、あながち「譜面とは異なっている」とも言い切れない。
最近出たラトル&BPOもこのやり方で、確かに印象的ではあるけれども、短くした方が、これまでの音楽のポテンシャルをキープできるようにも思う。
ちなみに、初演者のオーマンディは短く切ってます。
今となっては作曲者がどのような演奏を想定(希望)していたかは知る由も無く、『解釈』は如何様にも成り立つので、結局は指揮者の好みということになるでしょう。
| 固定リンク
コメント